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大阪家庭裁判所 昭和42年(家)6557号 審判 1967年11月21日

申立人 高田ゆき(仮名)

被相続人 高田幸一(仮名)

主文

被相続人高田幸一の相続財産である別紙目録記載の物件全部を大阪府知事の許可あることを条件として、申立人に分与する。

理由

本件申立理由の要旨は申立書に記載のとおりである。

よつて審案するに、調査の結果によるとつぎの実情が認められる。

一、申立人は被相続人高田幸一の長男秀幸と昭和七年九月二八日婚姻したが、秀幸は同二〇年四月二四日戦死し同人との間に子はなかつた。

ところで、被相続人幸一は同二八年七月三〇日死亡したが、同人には相続人がなかつたため、相続人不存在として相続財産管理人に高田健二が選任され、その後相続債権等申出の公告、相続権主張の催告などの手続がとられたが、催告期間内に相続人の申出はなかつた。

二、申立人の父岩井義昭と幸一の妻さよ(昭和六年一一月九日死亡)は兄妹に当るところ、申立人は、父死亡後である昭和初年頃、幸一夫妻のもとに引きとられて以来幸一方家族の一員として生活しさよ死亡後は、主婦がいなくなつたこともあつて、申立人は年少の身であつたが幸一の強い希望によりにわかに秀幸と結婚し、じ来同家の中心的な主婦として一家の家計を担当してきた。

幸一は家業である日用品販売煙草の小売商のかたわら農業を営んでいたが、申立人は、秀幸と結婚後も兼業農家の主婦として家業に精励し、同一八年頃秀幸が応徴(その後同一九年に応召し同二〇年四月二四日戦死)してから後は、留守家族また戦死者の遺族として、幸一をたすけて、よく家業を支えてきた。

ところが幸一は同二三年頃から中風気味で労働能力も減退し医療を受けることにもなつたが、こうしたなかにあつて、申立人は、文字どおり一家の支柱として家計全般を担当し、幸一の身辺の世話はもとより療養看護につくし、その死亡にさいしてはその葬祭を主宰した。

なお、本件相続財産のうち目録記載の(二)乃至(五)の物件はいずれも戦後いわゆる農地解放により取得したものであるが、その取得費用は、上記のように申立人が幸一とともにまた同人をたすけて営んだ家業の収益から支出したものである。

さて上記認定の実情によると、申立人は被相続人幸一と姻族一親等の関係にあつたのみならず義理の叔父姪関係にあつたものであり、しかも年少のときそのもとに引きとられ同人の死亡に至るまで、家族として生活をともにし、ことにその晩年、一家の支柱としてよく家計を支えまた嫁としてしゆうとである幸一の療養看護につくしその葬祭を主宰したものであり、このような事情のほか本件に現われた一切の事情をあわせ考えると、申立人が被相続人と生計を同じくしまたその療養看護に努めた者として特別縁故者にあたることは明らかでありなお分与すべき財産の程度については、本件相続財産を全部分与するのが相当である(ちなみに本件相続財産は、申立人に秀幸との間に子がおれば、その子が代襲相続により法律上相続すべきものであり、また妻たる申立人に代襲相続権が認められておれば、同人が相続すべきものであつた。-なお申立人のような立場にある妻に代襲相続権を認めるべきであるとの立法論があることは周知のとおりである)。ところで本件相続財産である農地の分与については、この特別縁故者への分与が遺産分割ではなく、したがつて農地法第三条第一号但書に該当しないこと明らかであるから、その所有権移転につき知事の許可を受けなければならない(農地法第三条第四項)。

以上の次第で、本件については、知事の許可あることを条件として相続財産全部を申立人に分与することとし、主文のとおり審判する。

(家事審判官 西尾太郎)

(目録省略)

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